2005 Vol.3 No.1「海ー自然と文化」東海大学紀要海洋学部 2005年7月31日発行
2004年度スマトラ島沖地震・津波による
構造物および海岸の被害について
アイダン・オメル 東海大学海洋学部海洋土木工学科
濱田政則 早稲田大学理工学部
鈴木智冶 飛島建設インドネシア事務所,ジャカルタ,インドネシア
要 旨
2004年12月26日午前8時7分(現地時間),スマトラ島北西部沖を震源とするM9.0の巨大地震が発生した.地震によ る揺れは最も近い都市バンダアチェで気象庁震度の5程度と推定されたが,スマトラ島北西部沖合からマレー半島沖合の アンダマンニコバル諸島付近にいたる1,000km以上のプレート境界が動き,20mを超える大津波が発生した.津波の被 害はインド洋全域に及び,死者・行方不明者合わせて20万人を超える人類史上まれにみる自然災害となった.国連の協力 を得て,特に陸路ではアプローチが難しい西海岸の様子をヘリコプターから観察する機会を得た.津波の高さは,バンダ アチェ市北海岸で10m超,震源断層線に面する西海岸で20m 超である.バンダアチェ市内では,北部海岸線からおよそ 2kmまでの家屋はRC 造も含めほぼ消滅,4kmまでは次第に建物が残存するが津波に運ばれた大量のヘドロと瓦礫で埋 まった.西海岸では海岸平野にあった集落が完全に消滅,風景が一変した.西海岸から駆け上った津波は標高20m 弱の 鞍部を越えてバンダアチェ市北海岸からの津波遡上域に達していた.大部分の建物が流された地域においても,モスクは 残る所が散見された.モスクは丁重に作られ,かつ1F はピロティ形式で津波が透過しやすいためと考えられる.バンダ アチェからムラボーに至る西海岸沿いの道路で80橋近くが落橋した.桁の横ずれに抵抗するシアキーが有るものは津波高 が高い地域においても流失を免れた.一方,多数の橋梁でアバットメント背後の取り付け盛土が洗掘されていた.また, 元々脆弱な地盤に作られたと推定される区間の道路が選択的に洗掘されていた.バンダアチェ市北海岸のUlee Lheue港 では大きな防波捨て石(約3トン)が岸壁上に打ち上げられていたが,直杭桟橋やドルフィンに大きな被害は認められな かったとのこと.西海岸のセメント工場の岸壁では防波堤と岸壁の一部が損傷し,停泊中の船舶が転覆していたが,岸壁 は使える状態だった.バンダアチェ市東方25kmのKrueng Raya港に石油類の供給ターミナルがあり,9基のタンクの 内,空の3基が高さ3〜 5mの津波で浮き上がり,最大で約300mも移動した.バンダアチェ市西方西海岸のセメント工 場では3基のタンクすべてが移動し押し潰された.同工場の鉄骨構造物も浮遊瓦礫の衝突などで大きな被害を受けたが, サイロ状のコンクリート構造物は目視する限り無被害だった.
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