2010 Vol.8 No.3「海ー自然と文化」東海大学紀要海洋学部  2011年1月30日発行
メルヴィル対白人キリスト教文明(1)
−出航まで−
五十嵐 博
要 旨
講演録『南海』で明白に見てとれるように,メルヴィルは太平洋の島々の純真な人々に破壊をもたらす欧米文明人に対して強く異を唱えた.その良心的姿勢は船の竜骨のように彼の作品群を貫いており,彼の白人キリスト教文明糾弾は,白人としての彼の救いなき根深い罪悪感に裏打ちされながら,『モービィ・ディック』での白鯨に対する追求と復讐に象徴化されている.
ピークォド号出航までの物語は,この作品の不可欠な一部であるというだけにとどまらない.そこには,出航後に現れる人物や表象群をより深く真に理解するための鍵と糸口があるからである.「幻」,「影」,「良心」 などのキーワードのもつ意味を正しく把握しないと,作品全体が神秘的で謎を抱えたままになる.
海に出るまでのナレーションと独白は,メルヴィルが,自らの住むキリスト教社会に歯向かうイシュメイルのような人間であると同時に,己の心の深奥をえぐる残忍なナルシスでもあることを語っている.マプル神父が文言化するように,メルヴィルの良心の命ずるところは 「虚偽のおもて に向かって真理を説くこと」 である.そして,この良心の命がメルヴィルの魂の海の門を開き,残酷無慈悲なその海で白鯨との象徴的な闘いが遂行される.