2010 Vol.8 No.3「海ー自然と文化」東海大学紀要海洋学部  2011年1月30日発行
集合的記憶装置としてのジャーラム(1)
−南インド・ケララのイスラム教徒マーピラの聖廟をめぐる宗教実践−
川野美砂子
要 旨
本稿は,ケララのイスラム聖廟ジャーラムが,宗教的多元性の場と集合的記憶装置という二つの側面から理解する必要があるという観点から,主に後者について論じるものである.南アジアのイスラム聖者廟ダルガにおける 「生活宗教の有する融合的性格」 にコミュナリズムを溶解させる原理を見出す主張に対し,ジャーラムにはコミュナリズムに関して相反するベクトルをもつ両方の側面があり,個々のジャーラムの伝える物語,地域,時代背景などの諸条件によって,宗教的共存の場ともなればコミュナリズムの原動力ともなりうることを指摘する.また一つのジャーラムが同時に集団によって異なる意味を帯びることになることを理解するためにも重要なのがこの二つの概念である.ケララのムスリム,マーピラの宗教実践で特徴的な殉教者のジャーラムは,世界のイスラム聖者廟のもつ集合的記憶装置としての側面を発達させたものと言え,マーピラにその苛酷な歴史的経験の中で,迫害に対して闘う歴史を生きる者としてのアイデンティティを与えてきた.第一部では16世紀,ポルトガルのケララ侵略とそれに対するマーピラの闘いの集合的記憶を伝えるジャーラムを中心に扱う.