2011 Vol.9 No.1「海ー自然と文化」東海大学紀要海洋学部  2011年6月20日発行
聖者と殉教者の記憶
−ケララのイスラム巡礼地マンブラムとマラプラムの事例−
川野美砂子
要 旨
本稿はジャーラム(ケララのイスラム聖廟)の集合的記憶の形成・固定・伝達装置としての側面を明らかにすることを目的として,ヒンドゥー地主とイギリス植民地支配に対するマーピラ(ケララのムスリム)の抵抗の歴史の中で重要な役割を果たしたマラプラムとマンブラムの事例を扱う.マラプラムのジャーラムは,18世紀に地域の首長とマーピラの間で起こった戦闘で亡くなったとされる44人の殉教者を祀るもので,その祭りナーチャは,当時この地域を覆っていたマーピラとヒンドゥー地主層の間の敵対的な関係と,殉教の観念を集合的記憶としてコミュニティの間に伝え,19世紀にマーピラの反乱を生む土壌となった精神的風土を醸成する役割を果たした.マンブラム・ジャーラムはケララ最大のイスラム巡礼地であり,サイイド・アラウィとその叔父が祀られている.サイイド・アラウィとその子サイイド・ファゼルは,ヒンドゥー地主とイギリス植民地権力に対するマーピラの反乱の精神的指導者としての役割を果たした.反乱において殉教者のジャーラムは殉教の集合的記憶を伝え,次稿で論じるように次の殉教を生むようになるが,本稿ではジャーラムのそのような展開を視野において,現在に伝えられているサイイド・アラウィとマンブラムに関する集合的記憶を検討する.