2011 Vol.9 No.2「海ー自然と文化」東海大学紀要海洋学部  2011年11月30日発行
メルヴィルと鮫
−どちらがより残虐か,鮫か人間か?−
五十嵐 博
要 旨
メルヴィルは,『マーディ』で多様な海洋生物を語る中で,鮫にまずスポットライトを当てており,その後,『モービィ・ディック』で鯨にズームインしている.鮫は冷酷さの化身として描出されており,象徴的海洋生物として,鯨に次ぐ重要な位置を彼の作品群の中で占めている.
鮫と人間と,どちらがより残忍か?メルヴィルは暗にこう問いかけているようであり,鮫は,人間世界の残酷な海に生息する冷酷無慈悲な人間のメタフォーとして,そしておぞましい死の象徴として作品に登場する.
彼は,動物および人間に対する人間の,特に白人文明人の残虐性を生々しく描出して糾弾している.人間の利益と幸福のために牛,豚,鵞鳥,鯨が無残に殺される,哀れで痛ましい情景描写の背後には,人間と動物の生命を等しく慈しむ作者の心情が見てとれる.『ホワイト・ジャケット』では人間の人間に対する残忍性が最もどぎつく発現される戦争の人非人的冷血性が断片的に語られ,『イズリエル・ポッター』での「にやりと笑う人面月」の下で戦われる凄絶な海戦は,文明という仮面の下の蛮性,人間の本質に内在する蛮性の表出の典型例となっている.
鮫は終生メルヴィルにつきまとい,彼が晩年につづった詩にも残酷な死の仲介者としてその姿を見せる.